これはただの日記

なにも考えていないようだ

Engineering Manager になってから身に沁みた12のアイデアと言葉 part4

今年も書きます。本記事はEngineering Manager Advent Calendar 2023の11日目の記事です。

kths.hatenablog.com

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「ユーザーから聞いた話についてでなければ、1秒たりともここで検討してほしくないんです」

今年の9月に発売された『プロダクトマネージャーのしごと 第2版 ―1日目から使える実践ガイド』はプロダクト開発のあり方にとって学びが多い一冊ですが、「ユーザーから聞いた話についてでなければ、1秒たりともここで検討してほしくないんです」は本書で紹介されている、とあるプロダクトマネージャーの発言で、このプロダクトマネージャーはバックログを "物理的に" 破壊したそうです。

本書ではこういった行為が常に好ましいとは限らないとしつつも、「少ない時間でもっとやれ」と命じられたチームが内省の時間をおろそかにすることに対し警鐘を鳴らします。なお、このエピソードはアジャイルなセレモニーをそれっぽく実施することや、バックログの "お手入れ" に意識をとられたチームで起こった出来事として紹介されています。

最近アジャイルソフトウェア開発宣言および背後にある原則はすべての基本だとあらためて感じているのですが、「ユーザーから聞いた話についてでなければ、1秒たりともここで検討してほしくないんです」は顧客との協調を重視する姿勢を一瞬で周囲と共通認識にできる良いフレーズだな、と感じました。また本書で紹介されている継続的ディスカバリーの定義「自分のチームは少なくとも週に1回はユーザーや顧客から直接学んでいるか?(by 『Continuous Discovery Habits: Discover Products that Create Customer Value and Business Value (English Edition)』)」 も同様に優れたメッセージでしびれました。

開発生産性の先行指標はチームの幸福度

昨今、開発生産性の計測およびそのツールについて盛り上がりを感じています。私も自社で計測を行っていますが、『スクラムの拡張による組織づくり──複数のスクラムチームをScrum@Scaleで運用する WEB+DB PRESS plus』を読んでいると、Scrum@Scaleガイドにて紹介されている、組織が計測すべき最低限のメトリクスセットについて言及がありました。

Scrum@Scaleガイド > 「メトリクスと透明性」

生産性 – 例: スプリントごとにデリバリーされる動作するプロダクトの量の変化

価値提供 – 例: チームの労力あたりのビジネス価値

品質 – 例: 不具合発生率、サービス停止時間

持続可能性 – 例: チームの幸福度

scruminc.jp

ここでおもしろいのが持続可能性です。ほかのメトリクスセットは遅行指標であるのに対し、持続可能性は先行指標です。スクラム共同考案者のジェフ・サザーランド氏は著書『スクラム 仕事が4倍速くなる“世界標準”のチーム戦術 (早川書房)』の中で以下のようにまとめています。

幸せを量的に把握する

ただいい気分でいればいいのではなく、その感覚を計測し、評価して実際のパフォーマンスと対比してみる。他の指標は過去を振り返って分析するツールだが、幸福度は先を予測する指標だ。

また幸福と成功に関する論文をもとに「数多くの研究から、大きな成果や成功を得るよりも前に、幸福感が先にあったことがわかっている」と紹介し、チームの幸福はどこから生み出されるのかについては主体性・スキルアップ・目的意識だとし、それはスクラムの透明性のことであると話が続きます。

あらためてスクラムの基本原則に立ち返ることで、やるべきことは自ずとみえてくるのかもしれません。

計画の前に行動ありき

リーダーシップとニューサイエンス』はニューサイエンス(二十世紀初頭におこった、量子物理学等の分野の考えが、様々な分野に影響するムーブメント)と、リーダーシップ・組織について論じた書籍です。1992年に米国にて初版が登場し、『1分間マネジャー』著者で有名なケン・ブランチャード氏も絶賛しています。

本書の第二章から第四章では量子物理学が組織のあり方に与える影響について扱われており、私が印象に残ったのはハイゼンベルク不確定性原理「二重性(粒子の様相と波動の様相、つまり位置と運動)を同時には決して捉えることができない」と、組織論との関係性を説いた内容でした。本書では組織論研究者のカール・ワイク氏が「イナクメント」と論じた事象を引き合いに以下のように論じます。

環境は、私たちの観測行為、つまり注目し、心配する対象を通して共同作業でつくられる。もし本当に組織という生命体にこの感受性があるなら、環境の「客観的」性質をめぐる議論でこれ以上時間を無駄にすることはないだろう。

二重性を同時に捉えることはできないのと同様に、環境や組織の状態をスナップショットとして観測することは不可能だということですね。つまり、観測するという行為を通じても組織の状態は変化するので、客観的な観測なんてものはそもそも行うことができないと。

そして・・・

ワイクは組織分析の新しい視点も提唱した。計画の前に行動ありき。なぜなら、人が何かを実行することによってのみ環境は創造されるのであって、この環境との相互作用を開始しない限り、考えや計画をまとめることができるわけはないからだ。それがワイクの主張だ。

「客観的な観測なんてものはそもそも行うことができない」前提から出発すると、事前に観測をして完璧な計画をつくることを目指すのではなく、まずはじめに行動を起こさない限りは実際の変化の向き先を捉えることはできないということでしょう。

何かを変えていこうとするときに、対象が大きなものであればあるほど計画のプロセスに時間を割きたくなってしまうことは多いですが、世の中に客観的な事実がないのなら、周囲と相互作用を起こさなければ前には進めないことを分かりやすく説いていると思います。環境に対して何かしらの行動をしない限り、創造するものへの理解は進まないと言い換えてもよいでしょう。

ただし、この言及は「組織はどこまでも刺激に反応するだけの状態で存在するとの主張ではない」点には注意は必要です。重厚長大な計画プロセスや詳細な計画立案に価値はなくとも、向かっていきたい方向性のメッセージを打ち出すことは重要です。組織の構成員がそれぞれ何をしようとしているかを自覚しないまま、環境(周囲)と共同で何かを進めていくことはできません。

まず行動をしつつ、向かっていきたい方向性のメッセージを分かりやすく出すことが同時に重要というメッセージで、組織運営の難しさを端的に表していると思いました。

ちなみに行動というと大袈裟に聞こえますが、人とアイデアについて話すことも行動の一つだと思いますし、他者と関わりを持つ、くらいで捉えれば良いのではないかと思います。

利用者参加型設計プロセス

Engineering Manager の仕事に限りませんが、組織として新しいものを生み出す・変える際の進め方は皆さん色々と工夫されていると思います。そうした中で周囲の意見を聴く過程を大事にする方は多いのではないでしょうか。

最近ふと思うところがあって『パターン・ランゲージ:創造的な未来をつくるための言語 (リアリティ・プラス)』を読み返していると、周囲と関わりながら物事を進めるにしても大きく2つのアプローチがあると提示されており、考えさせられました。

具体的には「利用者参加型設計プロセス」と「計画主導型設計プロセス」と呼ばれるものです。こう聞くと、前者はアジャイル的なアプローチで後者はウォーターフォール的なアプローチと解釈しそうになりますが、少し違うなと私は解釈しています。

「計画主導型設計プロセス」は、建築家が利用者へヒアリングをしながら設計をするプロセスです。建築家が設計をし、そのプランを利用者に見せてフィードバックをもらいながら建築家が設計を改善します。一方「利用者参加型設計プロセス」は建築家とともに利用者自身も設計に参加します。むしろ利用者が主体となってつくり、専門家はフォローするというスタイルです。どちらも建築家と利用者が設計に関わるという点では同じですが、計画主導型では最終的に専門家がすべてをつくっていくのに対し、利用者参加型は文字通り専門家と利用者がともに形づくります。

組織的な取り組みを決定する際にヒアリングを行ったり、レビューを依頼したりするケースは多いですが、そもそも取り組み自体を一緒につくることもできるはずです。「…それってペアプログラミングじゃん」と思われた方は大正解。そもそもパターン・ランゲージの書籍ですし。ただ、プロセスを考える際に「そもそも一緒につくる」は選択肢として意外と抜けちゃうものだな…と自覚したので、今後は「計画主導型」「利用者参加型」とラベルをつけて頭の中にしまっておくことにします。

なお、一緒につくるイベントやセレモニーを実施することが重要なのではなく、

  • 利用者を含む関係者が、いつでも最終成果物やその過程にアクセスできる
  • そのために最終成果物を頻繁に更新する
  • 最終成果物へリアルタイムにフィードバックできる

ことに価値があると思っています。要するにXP(エクストリームプログラミング)の基本原則やプラクティスをソフトウェア開発以外の場面でも適用するということですね。・・・もう一度書きますが、パターン・ランゲージの書籍なので当然なのですが。

ちなみにこれは私が 自社でバリュー改定に携わった際に大切にしたポイントでもあります。社内のコンサルティングチームからもプロセスをお褒めに預かれて光栄でした。

"遊ぶ余地がない仕事" は本当の仕事ではない

ブレネー・ブラウン氏は人間の脆弱さに注目し、大切にすることで人間本来の力を取り戻すことを説いている研究者です。

Brené Brown: The power of vulnerability | TED Talk

彼女が執筆した『The Gifts of Imperfection(邦題: 「ネガティブな感情」の魔法)』は、完璧さよりもありのままの自分でいることの大切さを様々な視点から教えてくれます。私がもっとも印象に残ったフレーズが、「"遊ぶ余地がない仕事" は本当の仕事ではない」です。

私たちは完璧であろうとするが故に遊びをおろそかにし、いや、遊ぶことを思い出しすらせずにTo doリストを消化し続けます。「休んでるヒマはない!」と。しかし遊びや休息がないと人の心は疲れ、慢性疾患や体調不良につながります。 遊びについて研究しているスチュアート・ブラウン博士によると「遊びとは目的がなく、遊びたいから遊ぶ」という特徴があるそうですが、遊びは脳を形成し、共感を育み、創造性の革新となります。

遊びのそんな効能に目を向けず、ただただ、やらないといけないことだけをこなし続けるのは、もはや本当の仕事ではないとブレネー・ブラウン氏は説きます。

一度立ち止まる勇気を思い出させてくれる力強い言葉ですね。

トップダウンボトムアップの両立方法

すべては1人から始まる――ビッグアイデアに向かって人と組織が動き出す「ソース原理」の力』は、まだ存在しない未来を思い描き、それを現実化させる人間の力のことをソースと呼び、その扱い方について触れた書籍で、ティール組織の著者フレデリック・ラルーが「もし事前に知っていたら、必ず書籍で紹介していたであろう大切な概念の1つだ」と語ったそうです。

ティール組織は魂のこもった組織をつくるために調査をスタートさせていますが、ソース原理はアイデアの具現化という問いから出発しており、出発点が異なります。 しかし、両者が示す姿は、トップダウンボトムアップを統合する協働アプローチを採用する点において共通しています。

ティール組織に共感する人には、従来型の組織でネガティブな経験をしたために、過剰にヒエラルキーを避けて分散型を求めてしまう人もいます。しかしそこでは、「グリーンの罠」と言われるような、意見を聞きすぎて意思決定できない、あるいはつぎはぎや妥協が多くインパクトの弱いアイデアしか生まれないといった状況に陥る組織も見られます。」

「しかし、成功する進化型組織のほとんどは、役職によるヒエラルキーはなくても、ソース原理でいうクリエイティブ・ヒエラルキーのような力関係や構造が存在しています。

そこでは、「ソース役の天性のビジョンにアクセスする力」「メンバーたちが現場での活動の中でさまざまな気づきや違和感を通じて感じるセンサーの力」「ともに対話し探求する集合知の力」といった 3種類の力を活かすような仕組みがあります。 

トップダウンボトムアップを統合するには、役職や役割にとらわれずにソースを見つけ(※1)、ソースが壊れないようにプロセスを設計しないといけないと考えさせられました。

新しいアイデアを組織に装着させていくには、ただアイデアを受け入れるのではなく対話を通じて組織になじませていく必要がありますが、気をつけないとインパクトの弱いアイデアに変わってしまうことはよくあります。

ソース原理が示す創造のあり方は大いに参考になりそうです。

※1 ... これはソースが「私はソースだ」と名乗りをあげ、ただ1人を合意することではない点に注意が必要です。ソースとして重視するコンセプトがぶれないように周囲と関わっていくこ役割を果たすことが真に重要なこと。

自分で考える責任を回避した瞬間、凡庸な悪が生まれる

政治哲学者であるハンナ・アレント氏が1964年に発表した『責任と判断』では、人間が自由意志を持って行動することができることを前提に、責任と判断の関係性を論じています。この時代の背景にはホロコーストや戦後の裁判があり、独裁体制のもとでの個人の責任(考えることを放棄した個が全体としての悪に参加している場合に、責任がどう問われるべきかという問題)を問いますが、組織で活動するすべての人にとっても示唆がある感じました。考える責任を放棄し目の前の事象に向き合い続けてしまうことで、全体として何が行われいてるかへの関心が薄れ、自分が何に加担しているかが見えづらくなる状態・そのような構造はどのような組織でも起こります。

ノンユーザー、ライトユーザーにペルソナは有効ではない

昨今のプロダクト開発の現場では、ペルソナをつくることが一般的になっているのではないかと思います。昨年発売された『 “未”顧客理解 なぜ、「買ってくれる人=顧客」しか見ないのか?』では、そんなペルソナの使い時についての示唆を与えます。

ペルソナ(状況や相手に応じて使い分ける人格)はユング心理学の用語ですが、シャドウ(普段は抑えこんでいる一面)はペルソナの対となって登場する考えです。ペルソナはすでに自分たちの製品を使っていてデータや情報を集めやすい相手を深く理解することに効果を発揮しますが、ペルソナとして想定している相手以外にも利用を広げたい場合には、人間がペルソナを付け替えたりシャドウが見えたりする "文脈" を理解することが大切だと筆者は説きます。マーケティングにおける市場をひろめるアプローチを進めるにあたっては、ノンユーザーやライトユーザーがサービスに触れる "状況や文脈" を理解することが、 "人" の理解以上に重要だということです。

SaaSビジネスでは、顧客へのサービス導入後に利用範囲や利用者を拡大することでアップセルにつなげていくことが一般的です。本書はマーケティング領域の色が濃い書籍であり、ユーザビリティの文脈をターゲットにした書籍ではないことに注意が必要ですが、この「未顧客理解」の考え方は参考になるように思えました。

スタッフプロジェクトを経験せよ

スタッフエンジニア マネジメントを超えるリーダーシップ』は私と同じ業界にいる多くの読者が手に取ったと思いますが、私が本書を読んだ後に頭からずっと離れないのが「スタッフプロジェクト」というキーワードです。 スタッフプロジェクトは、いわゆるスタッフエンジニアになるにあたって、経験することが重要とされる取り組みのことで、以下のような特徴があると本書では触れられています。

  • 複雑で曖昧
  • 利害関係者の対立
  • 誰もが知る、失敗の許されない仕事

要するに、「会社や事業の成長のために欠かせないが、技術的にも組織的にもめちゃくちゃ難しい取り組み」のことです。本書では様々な企業のスタッフエンジニア(またはスタッフプラスエンジニア)へのインタビューに多くのページ数が割かれていますが、昇格にあたってスタッフプロジェクトを必要とする会社も必要としない会社もある様子でした。しかし筆者のウィル・ラーソンは、スタッフプロジェクトは極めて貴重で、ほかの仕事では不可能なほど才能を伸ばし、成長するきっかけとなるだろうと言います。

ソフトウェアエンジニアのキャリアラダーのようなものを考える際には、そのエンジニアに求められる能力や素養に注目して議論しますが、その力を持っていることを分かりやすく示すために経験して欲しい「スタッフプロジェクト」について、社内で共通認識とするのも面白いかもしれません。

能力の社会学的構成

教育は何を評価してきたのか (岩波新書)』では、能力主義という言葉が生まれた経緯と、その変遷をさかのぼって現代日本における用語の使われ方や、そもそも言葉の磁力に囚われてしまうことへの警鐘を鳴らします。(筆者の本田 由紀氏はマイケル・サンデル実力も運のうち 能力主義は正義か?』の監役者です。)

日本における能力主義という言葉は、マイケル・ヤングの『メリトクラシー』に遡ります。メリトクラシーという言葉が生まれた背景には、階級や年功といったもので人が評価される社会へのアンチテーゼ的な側面がありました。メリトクラシーの法則ではIQと努力がメリットであるという定式化がなされているものの、そもそもIQも努力も計測することには現代に至るまで誰も成功していません。そのためメリトクラシーを論ずる際には何かしらのの代理変数が用いられています。よって、日本において能力主義という言葉を使う際にも人によって様々な解釈(たとえば、能力・資質・態度)を膨らませますし、日本以外では業績主義に近しい解釈がなされている国もあると筆者は解説しています。

…つまり、能力は "あるもの" というより試験や選抜によって "あることにされているもの" だと言えます。この事態は教育社会学における、能力の社会的構成と呼ばれるそうです。

一言で「能力主義」といっても時代背景や国によっても解釈は発散しますし、特定の解釈のみに囚われていると文脈に合致しない言葉の持ち込み方をする危険性も高まります。

能力主義や能力といった言葉とマネジメント業務において切り離せないのは職能給・職務給といった言葉やその評価プロセスだと思いますが、「私は能力主義で公平に評価しているのだ」という驕りを持たずに向き合いたいものです。

ではなぜ評価をやるんだという話ですが、現時点で私は「個の再現性と組織の再現性を切り離し、後者に軸足を置いたツールが組織拡大には必要だから」という考えを持っています。なので最近は評価制度を運用するにあたっては、組織の再現性を担保するために、評価制度そのものの運用サイクル以外に、どのレイヤにどれくらいの人数がいるか(いわゆる要員計画)もあわせて管理すべきと理解を再度し直しています。

解決システムと問題システム

新装版 会話・言語・そして可能性―コラボレイティヴとは?セラピーとは?』は2001年11月に初版が発行された、ハーレーン・アンダーソン(心理学者、コーチ)先生の書籍です。ハーレーン・アンダーソン先生は、Engineering Manager になってから身に沁みた12のアイデアと言葉 part1で紹介した『こころの対話 25のルール』の著者、伊藤守先生のコーチだった方です。伊藤守先生は日本人として初めて国際コーチング連盟(ICF)よりマスター認定を受けた方ですね。

さて『新装版 会話・言語・そして可能性―コラボレイティヴとは?セラピーとは?』は、セラピストとしてどうあるべきか、ハーレーン・アンダーソン先生が対話にどのように向き合ってきたかに触れられる素晴らしい一冊です。

Engineering Manager の仕事はチームやプロダクトの状態をなんとかして成果をあげることですが、「なんとかする」ために目の前で起こっている事象を解決するための行動に意識が向いてしまいがちではないかと思います。そして1on1等での対話も、起こっていることを解決するための掘り下げを無意識にしてしまう。こういった状況に対して、ハーレーン・アンダーソン先生のスタンスを分かりやすく示した言葉が「解決システムと問題システム」です。ハーレーン・アンダーソン先生は周囲の仲間から、「なぜあなたは、解決システムではなく問題システムなんですか」と問われていたそうですが、その裏にある考えが本書で紹介されています。

惜しいことに、われわれの治療文化では、「問題」という言葉のイメージは固定化していて、それは何らか解決を必要とするものという見方が一般的だ。一方、「解決(solution)」という言葉は、治すという響きをもつ。私はセラピスト、またはセラピーが問題を「解決」するというふうには考えていない、なにかを治すとは考えていない。経験から言うと、そういうことは起こらず、むしろセラピーの過程を通して問題について探って行くことで、問題の解決ではなく、問題の解消につながっていく。問題は解決されるのではなく、言語の中で解消する。私が見るに、その解消にむけて、なにが話題になったか(問題や解決を話題にすること)ではなく、私たちがどう話を進めていったかという行程が大きい意味を持つ。

よく組織課題なんて言葉がありますし、Engineering Manager は組織課題の解決にむけて何かの施策を行うことだとも考えられがちだと思います。これは私自身にも反省があり、自らを含む Engineering Manager の目標設定に向き合う際に、「◯◯をなんとかするために、△△する」という行動目標を設定しがちでした。いや、でもそうじゃないんだということがよく自覚できました。この手の行動目標を置いてしまった瞬間に「その行動をすること」に意識が向いてしまい、それは解決システムの話になってしまいますし、問題システムとしての対話に価値を見出しづらくなってしまいます。もっと直接的な表現をすれば、どう行動や成果を評価するか、それを経営としての価値交換システムの中でどう語るかのゲームに入れ込みづらくなってしまうという話なんですが。

先ほど「能力の社会学的構成」について触れましたが、人が人を評価するなんてものは本当に曖昧だなと自覚しました。ただ、これを諦めない先に、真に自分のありたい姿がある気がするので、何度でも仕組み・自分の考え方に反映させていきたい。

本書には近しい考え方として、「会話的質問と条件つき質問」というキーワードもあり、この考え方も意識していくぞ。

自分のチームに実行力がないうちは、組織全体の戦略を気にしても意味がない

『AMP IT UP(最高を超える)』はスノーフレイク社の会長兼CEOが書いた一冊ですが、現職で執行役員として仕事をする人格の自分にとって2023年に読んだ本の中でNo.1でした。「最近おすすめの一冊は?」と聞かれると、聞かれた相手にもよりますが、この一冊を勧めます。

中でも私のお気に入りは第五章「戦略よりも実行力を優先させる」で、「自分のチームに実行力がないうちは、組織全体の戦略を気にしても意味がない」は第五章に登場するメッセージの一つです。第五章は以下のようなフレーズから始まります。

ビジネス戦略に関する記事や書籍は数あれど、実行力に関して書かれたものはそれほどない。これは私にとって驚きだ。なにしろ実際には、戦略と実行は切っても切れない関係にある。事業が伸び悩んだ時、戦略がまずかったせいか、それとも実行に不備があったせいか、どうやって判断するのだろう?それに実行の仕方を知らなければ、どんなに頼もしい戦略も失敗に終わる。かつて私の上司が言ったように、「実行より大事な戦略などない」のだ。

フランク・スルートマン氏は続けて以下のように記します。

それでも、多くの人は実行より戦略について語りたがる。おそらくは、戦略のほうが高尚で、知的な刺激あふれるイメージなのに対し、実行のほうは退屈で地味で、ただ手を汚すだけ、しゃかりきに働いて「やることリスト」を消化するだけ、という感じがするのだろう。特にシリコンバレーではそんな傾向だ。戦略的な話のほうが、ありがたがられ、広く語られ、何度も焼き直される。 でも、そういう人たちの理解はあべこべだ。首尾よく実行する方法を知らずして、戦略を使いこなすことはできない。だからこそ、リーダーは実行を最も重んじるべきなのだ。自分のチームに実行力がないうちは、組織全体の戦略を気にしても意味がない。実行は困難で、しかも優れた例は珍しい——ということはつまり、これも競争上優位に立つための大事なポイントになる。

フランク・スルートマン氏が指摘するように、実行力がなければ、事業が伸び悩んだ時、戦略がまずかったせいか、それとも実行に不備があったせいかすら判断すらできません。なのでチームの実行力があるかをまず第一に考えようというメッセージは私にとっても納得感があります。実際にフランク・スルートマン氏はサービスナウ社のCEOに就任後は、数年間、戦略をそのままに実行を改善したそうです。

ただし、「戦略よりも実行力を優先させよ」というメッセージは問題を正しく理解しないまま解決策に着手せよという意味ではない点には注意は必要です。第九章では「解決策の前に分析を」と題して、安易に物事に着手してしまうことに警鐘を鳴らしています。

また、実際に戦略と実行のどちらが間違っているか?というシーンに関しては、「私の経験上、売上が伸びない原因は、たいていプロダクトが不十分か、ターゲット市場に届いていないかのどちらかだ。」とフランク・スルートマン氏は主張します。要するにPMFのPとMですね。

Engineering ManagerはEngineer's Managerでない限りは、プロダクトを最高にしていくために仕事をしていくはずであり、引き続きみんなで最高を超える仕事をしましょう。